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「小父さん、どうして思いださないの、」 「……何を、」 「逢いたい人のことだよ。」 (「銀河電燈譜」) 「賢さん、種をあげますね。来年も咲かせてください……、ぼくのが枯れてしまっても、」 少年は己の病を知っているのだろうか。壮介は苹果を器に盛りながら顔をうつむけている。立葵の真っ紅な花と窓辺の少年の蒼白い頬の対比が、しばらくのあいだ宮澤の脳裏に強く灼きついた。 (「夏日和」)
05/14 21:14 | 私家抄本室
「どういう生き方を選ぶかはあんたの自由さ。でも、あたしがさっきの話を子どもにするんだったら、最後にこう云うね。……お聞き、坊や。真珠もルビーも消えたわけじゃない。今もおまえさんの体のなかにあるんだよ。それは、秘密の呪文さえ唱えれば、取りだすことができる。世の中にはその呪文を知っている人が必ずいるんだ。さあ、元気を出して、探しに行ってこらんって。」 「……そんな人は見つかるはずがない、」 「探してみもしないで、何を云うんだろうね。あきらめるのは美徳じゃないよ。怠け者ってことだよ。」 「でも、誰が知っているかもわからないのに、どうやって探すんですか、」 「おまえさんは五歳の子どもかい? 訊けばいいんだよ。あたしなら、逢う人ごとに訊くよ。これこれの呪文を知っていますかって。」 「笑われても?」 「平気さ。これくらいのことで笑うのは、心の貧しい人間なんだから、そんな人たちと親しくなる必要はないと思えば、なんでもないことなのさ。呪文を知っている人にぶつかるまで、辛抱強く試してみるよ。たくさんの人に会うことも大事だね。」 (「メルカトル」)
05/10 18:10 | 私家抄本室
ユーモレスク (ちくま文庫 な 36-1) / 長野 まゆみ 「五目の稲荷寿司と麦茶を持って、上機嫌で出かけたの。……ほんとうにうれしそうだった。たかだか電車で一時間の水道局の貯水湖へ行くだけなのにねえ、調子にのって湖に落ちないといいけどって、母と笑いながら見送った。……あのままもどらないなんて……思わなかった……から、」 涙があふれた。長いあいだ、このことでは泣くまいと決めていた。泣くことによって弟の不在が確定してしまうのを恐れていた。だが、もはや真哉【まさや】がこの世にいないことは疑いようがない。両親もわたしも、それを承知しながらただ、だらしなく先のばしにしてきただけなのだ。 (「ユーモレスク」) 「たぶん、真哉は平気よ。どんなかっこうをしていたって、自分に落ち度はないと思うかぎり行きたいところへ行くの。そういう子だった。」 (同上) レースの縁飾りのついたランジェリーがハンカチのようにたたまれて、抽斗【ひきだし】のなかにおさまっている。テーブルのうえで、摘みとった花のつぼみのようにならんでいるのが、みんな素肌にまとうものだった。これを身につける人は、花びらほどの重さも感じないだろう。古風なばらもあれば、一夜かぎりの徒花【あだばな】もある。だが、野の花はない。ここは自然とは無縁の装いに、至福をおぼえる人々が集う花園なのだ。 (「アラクネ」 『ユーモレスク』ちくま文庫 2007.7.) ※【】内はルビ
07/15 03:20 | 私家抄本室
「にいさんへ頼んだらいいのに、」 そういえば、兄の姿が見えない。にいさんという呼びかたに、ようやく慣れたところである。ついこのあいだまで、姉にならって兄【けい】ちゃんと呼んでいた。姉がいなくなったとたん、兄は、ぼくが兄【けい】ちゃんと呼ぶのを禁じた。 (「兄弟天気図」) ※【】内はルビ
07/12 00:10 | 私家抄本室 私、約10年ほど長野まゆみ氏のファンをやっておりますが、そのくらいは氏のキャリアからみると第2世代というところでしょうか。
しかしさすがにそれだけファンをやっておりますと、一応たいていの著作は読んでいるという自信はあるものの、氏の著作はかなりな量がありますので、まだ読んでいないものもあるであろうとも思われるわけです。 が、しかし。 蔵書の整理整頓ができない私は、いったいどれを持っていてどれを持っていないのか、自分で買ったのか図書館で借りて読んだのか、いまひとつ記憶に自信がないのです。オマエ本当にファンかと問われれば確かにファンなのですが! そこで、とりあえず蔵書の地層から掘り出して読み返した順に、記録をつけていくことにしました。感想まで書くときりがないので、原則として感想は書かずに好きな一節を書き出すということにします。 【私家版耳猫抄本室】というわけです! まあ、完全に自分のためだけの記録ですが、もしまだ氏の作品に触れたことがないという方、久々に読み返してみようかなという気持ちへのちょっとしたきっかけになれば幸いです。
07/11 23:59 | 私家抄本室 |
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